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読書週間だから好きな短編小説紹介する2018 「秘密/谷崎潤一郎」


読書週間に毎日ガンガン本を紹介するシリーズ第四回は
秘密/谷崎潤一郎です。

青空文庫はこちら。 http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=57349
(ルビが多く青空文庫は読みにくいので、青空 in Browsers(縦書き)をおススメします)
私の初読は百年文庫「妖」でした。




さて。

……。

…………。

………………。

谷崎大先生の短編をどういう風に紹介するのかをずっと考えていたんですが、
ここの短編に書かれているのは……なんていうか……
ただ単の性的倒錯だけではなく……何というか……ええと……。

まぁいいや読書感想文なんだから、好きなように書けば。



あらすじ。
女装した男性が、
目隠しされながら女性と逢瀬を重ねる話。

あらすじが酷い。

なんというか、男性が女装するときの決め細やかな感情、手順、化粧方法について、
それから外に出た後の興奮、通行人の視線……などが、素晴らしい日本語と文章力でかかれており、
正直ドン引きです。なんやねんこれ。
谷崎先生、あなた女装して街に出たことあるんでしょう実は?




この短編に書かれているのは、真の意味でもマゾヒズムだと思います。
マゾヒズムというのは、ただ痛いのが好き、束縛されるのが好き、性的趣向ではありません。

束縛されている状態、何も出来ない状態であるときに
「実は本気を出せば立場逆転できるんだよね」ってコッソリ思っているのが、マゾヒズムの真髄。
劣勢いようと、『優勢に転ずることが出来る』と思考すること。
「こんな状態からすぐに脱却してやる」「脱却できるんだ」と思考すること。
それがマゾの真髄。
ただ単に痛めつけられて喜んでいるだけがマゾヒズムの真髄ではありません。
……って文を読んだ覚えがあるんだけど、出展どこだか忘れちゃった。

故に、生粋のマゾは、基本的に男性です。
逢瀬のときに、肉体的にも、精神的にも、優位の状態ではなければ、マゾとしての快感を得られないのです。

……?
あれ?なんか話ずれてるな?



この短編の作品中に、この主人公がマゾだという文章は一言も出てきませんし、
ハードでアレなシーンが出てくるわけではありません。せいぜいで目隠しされている程度。(それでもアレだけど)
が、それでもこの主人公は生粋のマゾ男でしょう。
なぜなら、「この自分に劣勢な状態から、いつでも優勢な状態へと逆転できる」と知っているからです。
T女が弱みを握り、場所を指定し、彼女が主人公を、そして全てを支配しているしているように見えるのですが、事実は逆なのです。
全てを支配し、鍵を握り、状況をいつでも打破し、全てを壊せるのは彼。

そして、事実、物語の最後、彼はそうします。




……。
どうしてこんな話になった。

しかしこの主人公、かなりクズっぽい香りがするんですがどうなんでしょうね。
あと、最後の一文も不穏です。彼、これから犯罪とか犯したりしないだろうなぁ。



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読書週間だから好きな短編小説紹介する2018 「死なない蛸/萩原朔太郎」


読書週間に毎日ガンガン本を紹介するシリーズ第三回。
短編って言うか、これは詩なんだろうか。
記憶している以上に短い物語(文庫本2ページ)だったので、本文そのままここに載せます。



死なない蛸/萩原朔太郎
(一部旧字体などの文字表記を変更)


ある水族館の水槽で、ひさしい間、飢えた蛸が飼われていた。
地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂っていた。
だれも人々は、その薄暗い水槽を忘れていた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思われていた。
そして腐った海水だけが、埃っぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまっていた。

けれども動物は死ななかった。蛸は岩影にかくれて居たのだ。
そして彼が目を覚ました時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢餓を忍ばねばならなかった。
どこにも餌食がなく、食物が全く尽きてしまった時、彼は自分の足をもいで食った。
まずその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすっかりおしまいになった時、今度は胴を裏がえして、内臓の一部を食いはじめた。
少しずつ他の一部から一部へと。順々に。
かくして蛸は、彼の身体全体(からだぜんたい)を食いつくしてしまった。
外皮から、脳髄から、胃袋から。どこもかしこも、すべて残る隈なく。完全に。

ある朝、ふと番人がそこに来た時、水槽の中は空っぽになっていた。
曇った埃っぽい硝子の中で、藍色の透き通った潮水(しほみず)と、なよなよした海草とが動いていた。
そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかった。蛸は実際に、すっかり消滅してしまったのである。

けれども蛸は死ななかった。彼が消えてしまった後ですらも、尚且つ(なおかつ)永遠にそこに生きていた。
古ぼけた、空っぽの、忘れられた水族館の槽の中で。
永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――あるものすごい欠乏と不満をもった、人の目に見えない動物が生きて居た。





萩原朔太郎。
彼に二つ名をつけるなら、
孤独の詩人、萩原朔太郎。
彼の詩は好きです。彼は詩人であり、小説家ではありません。
が、この短文の中の物語性よ。

もしかすると、現代のこの世のどこかの水族館の、どこかの水槽に、
ものすごい欠乏と不満を持った、目に見えない蛸が生きているのかもしれないのかと。
藍色の、海草だらけの、濁った水槽の中で。

この蛸はもしかすると、萩原朔太郎自身なのではないか。
凄まじい孤独の中で、自分を喰らいはじめ、そして残ってしまった、詩人の意識。
それは今の世に残っている、萩原朔太郎の詩、そのものなのではないかな、と。

誰もが彼が死んだと思っているかもしれないけれども。
ものすごい欠乏と不満を持った、詩人の意識が、人の目には見えない動物が、私のそばに生きているのではないか、と。

---

ある人に、私はこの『死なない蛸』が好きだ、と言いました。
彼女も、この詩が好きだといいました。教科書でやったことがある、と言っていた気がします。

また別の人に、萩原朔太郎の詩を紹介しました。
寂しい詩人だと、彼女は言いました。泣きそうになるぐらい、孤独の詩人だと。

その人たちは、もう私の傍にはいません。
もう私と関わってくれる事は二度とないでしょう。
最初から最後まで一人なら、人間は孤独ではありません。
他人の存在を知ってしまったとき、恐らく人は孤独を知るのです。

今年の四月、私は第46回 朔太郎忌「虹を追ふひと」の講演会に行ってきました。
その中で、偉い先生が、こういっていました。
「ネットやSNSが発達し、人といつでも繋がれるこの時代で、萩原朔太郎の時代の『孤独』を味わうことはできないだろう」と。

そんなことはないと、私は思います。
どこに行こうと、科学技術が発達しようと、どんな小細工をしようとも、
どうしようもなく、孤独な人間は、孤独なままです。



  桜/萩原朔太郎

桜のしたに人あまたつどひ居ぬ
なにをして遊ぶならむ。
われも桜の木の下に立ちてみたれども
わがこころはつめたくして
花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。
いとほしや
いま春の日のまひるどき
あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。




(一応クソ適当に訳しておきます)

桜の下に人が集まっている。
彼らは何をしているのだろうか。
私も桜の木の下に立ってみたけれども、
花びらが散るのを見て涙が出てくるだけだ。
どういうことなのだろう、
今は春の日の真昼の時刻で、
悲しいものを見ているわけでもないのに。
そんな自分が惨めで、可哀想で、気の毒なのだ。

読書週間だから好きな短編小説紹介する2018 「出世/菊池寛」


読書週間に毎日ガンガン本を紹介するシリーズ第二回。
既に1日空いている気がしますが気にせずに続けます。



第二回はこちら。
出世/菊池寛

青空文庫はこちら。https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/500_19847.html
私の初読は図書館情調でした。



とあるテーマがあって、そのテーマに沿った短編集、アンソロジーなんかを読んでいますと、戦時中ロシアの短編の次に戦国時代の日本の話が出てきたりして、脳が凄まじい混乱を起こすことがあります。
短編を読む時は非常に、脳内の舞台設定と言うのが難しいのです。
どこの時代の話?ってかどこの国の話?そもそもこの作者誰???みたいな。

そして私は、あんまり学がないようであります。
お恥ずかしながら、「下足番」って初めて見る単語でした。

が、この短編は凄まじい。
というのは、

「昔、日本の図書館では、内履き外履きを履き替える必要があったこと」
「昔、図書館には下足番という職業の人間がいたこと」
「下足を預かって、それをしまう専門の係がいたこと」
「その職業は、けして身分の高い職業ではなかったこと」
「そんな職業の人に『あなたの靴はみすぼらしすぎるから、あずかれない』といわれる主人公の境遇」

……。
というのが、知識がゼロでも、ゆっくりと読めば、一読でわかるのです。
すぐにその世界に入り込めるのです。
すなわち描写が凄まじい。
別に、主人公がくどくど説明してるわけでもないのに、です。

なおかつ、これは短編です。けして長い話じゃない。
でも、その短いお話の中に、

その時代の描写とにおいと、
主人公の境遇とうしろめたさと、
それから爽やかな読了感が、ぎゅっと詰め込まれているのです。

好きだなー。この短編。
文豪ってすげえなあ。

読書週間だから好きな短編小説紹介する2018 「人でなしの恋/江戸川乱歩」


昨年もやりました、読書週間に毎日ガンガン本を紹介するシリーズ。
今年は趣向を変えて「短編小説」を紹介しようと思います。

なお、普通の読書感想文・紹介文と違って、
その本に関する自分の思い出とかエピソードがガンガン入りますが、よろしくお願いします。




第一回目はこちら。
人でなしの恋/江戸川乱歩

青空文庫はこちら https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57511_65228.html
私の初読は「百年文庫・異」でした。

──「『門野』、御存知ご存知でいらっしゃいましょう。十年以前に亡くなった、先の夫なのでございます」




私が家で江戸川乱歩を読んでいると、母親が
「うっわぁぁぁ……えぇええ……江戸川乱歩かぁ……」てすっげえアレな表情をするのですが、その理由はなんとなくわかります。

江戸川乱歩は、俗に言う「気持ち悪い作家」です。ミステリーとか推理小説とか、かなりおどろおどろしい話も書きますし、血みどろぶっしゃーの話も書きますし、異常性癖マシマシな話も書きますし。
もしも「呪われた本を一冊持ってきなさい」と指示されたら、高確率で「著・江戸川乱歩」だと思います。
なんかイメージがすっげえ悪いんですよね。爽やかなイメージは微塵もないし、どうあがいてもドロドロのぐしゃぐしゃの殺人&ミステリーな作家です。

が、「人でなしの恋」は、純愛小説です。
少なくとも私はそう思っています。そして、けっして実らない、だけれども美しい、胸が締め付けられるような、恋の話です。
初めて読んだときは驚きました。「へぇえ、江戸川乱歩、こんな話もかけるんだ」と。

だけど、この話は、それでも江戸川乱歩なんです。
ホラー小説です。すいません。純愛小説なんですけど、結局ホラーです。
だけどその、ホラー作家としての江戸川乱歩と、悲恋の嚙み合い方が凄まじくて、とてもよい短編だと思っています。
江戸川乱歩は、女性の語り口調のお話を書くの、とっても上手な作家なんですよね。
語り手の女性が、自分がまだ若い娘だった頃の行動を、蔑むような、哀れむような、そんな語り口調が独特の作品です。
そして、その時、失ったもの、もう戻ってこないもの……。




短編なので紹介文も少なめで。
それでは。



時雨屋本店8周年


2018年10月5日で時雨屋本店は8周年を迎えました。

DolM1VbU4AISmlq.jpg

大きいサイズのはpixivへどうぞ。


色々迷走しましたねー。最初はボカロPでしたし。今もだけど。
今は小説を書くことについて、割と焦点を絞り始めました。

ではでは。
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時雨屋

Author:時雨屋
好きな食べ物はプリンです。

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