読書週間だから好きな本紹介するその9「ジキル博士とハイド氏」


「この鏡は、さぞかし奇妙なものを映してきたことでございましょう」
執事のプールが囁いた。
「だが…一番奇妙なのは、この鏡そのものだ。」
アターソンも声を落して言った。「一体、何のためにジキルは…」
彼はそこまで言って、自分の言葉に驚いたように言いよどんだが、
それでも気を取り直して最後まで続けた。
「彼は、こんなもので、一体何をしたかったんだろう?」

"This glass has seen some strange things, sir," whispered Poole.
"And surely none stranger than itself,"echoed the lawyer in the same tones.
"For what did Jekyll"--he caught himself up at the word with a start,
and then conquering the weakness--"what could Jekyll want with it?" he said.





ということで、
もう読書週間じゃない気がするけど好きな本を紹介しようシリーズ第9回はスティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」です。

ジキルとハイド(新潮文庫)
新潮社 (2015-07-31)
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なんだかんだで3回ぐらい読み直したんですが、
私にとっては、読むたびに読了後の感想が変わってしまう不思議な本です。

さて。
二重人格の代名詞ともなっているこの「ジキルとハイド」。
何小説と言うのでしょう。コレ。
怪奇小説、がジャンルとしてはあっている気がするけれども。
それとも推理小説?ゴシック小説?
そもそもこの話、推理小説として読んだときは、最大のネタバレが最初にされているのです。
ジキルはハイドである。
ハイドはジキルである、2重人格の話であるという、という今作品最大のネタバレ。
これ知らないで読んだほうが楽しいんじゃねえの。



「ジキルとハイド」のあらすじ。

舞台は19世紀ロンドン。
ヘンリー・ジキル氏は、医者として高名で紳士的な人物でありました。
偽善活動にもいそしみ、評判の良い人物。
そして作中ではけっこう高齢。まさかの50歳。
当時の作者のスティーブンソンより高齢でしょう。(作者は44歳でなくなっております)

語り手のアタソン(アターソン)は、そのジキル氏の周りに、最近「ハイド氏」という醜悪な男が出入りしているコトに気づきます。
このハイド氏、幼女を踏みつけたり、金をふんだくったり、人を殴って殺したりとやりたい放題。
ハイドが、ジキル博士の小切手を持っていることに気がついたアタソンは、
ジキル博士が、ハイド氏に弱みを握られてるのでは?と心配するのですが…。
なんと、ハイド氏の正体とは、ジキル博士が『薬を飲んで変身した』、もう1つの姿だったのです…と言うお話。



さて。思ったこと。
ああ、若い。
若いのだ、このジキル博士。

50歳。
ええ50歳なのです、この博士。
でもなんだろう。
ものすごく若い印象を受ける。
50になっても人は若いのです。
だがしかし、50という年齢で物語の主役を張るだけあって、
その50年に、一体何があったのか、ものすごく気になります。

ヘンリー・ジキル博士は、裕福な家庭に生まれ、
才能にも恵まれ、勤勉で、人々から好かれ、尊敬されるコトを好んでいる、
いわゆる恵まれた人間です。きっと、幸せだったのです。
でも、自分のもう一つの面を捨て去ることができませんでした。
すなわち、「快楽主義者」で、悪を愛する、もう1つの面です。

ジキル博士が、50過ぎになって、人生の地位や名誉を見回したときに、
どーしても自分の二重人格の面、「悪」の面が諦められないことに気づきます。
だけど、今まで積み重ねてきた、慈悲深く善的な自分を捨てるコトも出来ません。

分離できれば。
それを可能にしてしまったのが、博士が開発したお薬。
このお薬を使えば見た目は全く変わり、それまで抑圧していた『悪』の面を分離することが出来るのです。
見方を変えてしまえば、「ジキルとハイド」は、ドラッグをやって自滅する人間のお話なわけですが…
なんだかんだで、ジキルは、ハイドになって悪を楽しんでいるのです。



ここから下は私の受けた印象、ただの感想なので、
なんていうかたぶん一般論ではないと思いますが。

ハイドは醜い見た目をしており、パッと見ただけで、誰が見ても「コイツ悪い奴だな」と思われるような容貌をしております。
だけれども。なんだか、久しぶりに読んだら、ジキルのほうが悪い奴のように見えてくる。
奴は、自分の、嫌な面を、全部ハイドに押し付けてる。
ハイドを生み出したのはジキルなのに、ハイドを疎んでいる。
ハイドとして人を殺してしまった後に、それで償えるはずが無いのに、ジキルは慈善事業に力を入れる。

ハイドは生に執着します。生きたいと願います。
醜く、人を憎み、悪を愛し、産み親のジキルを憎みながら、生きたいと願います。
人間的にはそれが美しいと思うのです。

一方、ジキルは生きたいとは願っていません。
生に対する執着もわずか。そこだけは50過ぎのおじいさん。
ハイドが面倒くさくなって、「自殺しちゃおうかな~」とかすら思っております。
ハイドはそれを恐れています。体は一緒ですからね。
物語の後半、ジキルがジキルでいられる時間は、どんどん短くなっていきますが、
恐らくそれは、ハイドの生への執着の執念なのでは。

ジキルは、ハイドに意識を完全に乗っ取られる前に手紙を書きますが、
ハイドを道ずれに死のうとは一ミリも考えていないような気がします。

ハイドは、その見た目から「悪い奴だ」「諸悪の根源だ」「吐き気を催す邪悪」など言われていたり、
ジキルからも「猿より頭が悪い」「後先考えない」「控えに言ってもクソ」など、さんざんな言われようなんですが
実はハイド自身の言葉、告白というのは、この物語には出てきません。ハイドは手記は書いてないので。
ハイドがどんな人物だったかは、ジキルの自分勝手な手記からしか読み取ることしか出来ません。

さて。
この物語は、ハイドの自害によって終わります。
あんなにも生きたいと願っていたハイドなのに、
どうしようもなくなってしまって、自ら死を選ぶのです。

今、原書のそこを読み終わったところです。
主人公のアタソンは、ハイドの死体を一瞥しただけです。哀れみの言葉はありません。
物語は、次のシーンに進みます。ハイドの死体がぽつんと残ったまま。モブキャラの死のように。流れていきます。

哀れだなぁ。
ハイドは殺人者ですごい悪い奴なんだけど。
…哀れだなぁ。




とはいうものの、
次に読んだときは、本当にジキルが可哀相で可哀相で、
ホントにハイドという悪魔に騙されてるかわいそうな老人にも見えるし、
次に読んだときは「自業自得だろーーwwwwwwww」となってしまったりもする。

最初にも書きましたが、
この本、読むたびに感想がコロコロ感想が変わるのです。










それでは。

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読書週間だから好きな本紹介するその8「3びきやぎのがらがらどん」


童話には「3」の法則があります。
1回目はしっぱい、2回目もいいところまでいくけどしっぱい、3回目は成功!
あるいは、その逆ですね。2回はうまく行ったのに、3回目はしっぱい!

童話で出てくる3人兄弟は、大体1番目のお姉さんと2番目のお姉さんは失敗する役です。
3匹の子豚、シンデレラ、青髭。
だいたい末妹が大成功する役。
(前回紹介した『ハウルの動く城』で、3人兄弟の一番上のソフィーは「長女だから私はダメなのよ」とふてくされるシーンが何度かあります。この『おやくそく』をオマージュした愚痴です。)
「金の斧、銀の斧」も3回の繰り返しの質問ですし、日本の3枚のお札、毛色は変わりますが「桃太郎」も「3匹の」仲間と共に鬼が島に向かいます。




ということで、
もう読書週間じゃない気がするけど好きな本を紹介しようシリーズ第8回は「3びきやぎのがらがらどん」です。

三びきのやぎのがらがらどん (世界傑作絵本シリーズ)

福音館書店
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この絵本、大好きです。
まず、読みきかせをしてもらいました。
次に、自分で読みました。
そして、読みきかせをしました。
いいスパイラルです。私は幸せものです。

「3びきやぎのがらがらどん」のあらすじ。
むかし、あるところに、やぎが3匹おりました。
名前はどれも「がらがらどん」。
おおきいやぎのがらがらどん、
ちゅうぐらいのやぎのがらがらどん、
ちいさいやぎのがらがらどん。

3びきのやぎが、山へ草を食べに行く途中で橋を渡る際、
橋に恐ろしい化け物「トロル」がいることに気づきます。
3人は口裏を合わせて、ちいさいやぎから順に橋を渡っていくことにしました。

がらがらどん達は、
「ひとのみにしてやろう!」
というトロルに
「いやいや、後からもっと大きいのが来ますよ」
といい、順に通してもらいます。
そして、最後におおきいやぎのがらがらどんがやってくるわけですが…。


この本の見所は、やっぱりその絵。
力強い線、海外っぽい色使い、というか海外そのものの樹木。
そしてトロルの恐ろしいこと恐ろしいこと、
「岩の化け物だけど目は白いんだな、どんな感触がするんだろう」と小さい頃は考えていたほど、
臨場感ある、触れそうな質感。

そして、ちいさいやぎのがらがらどんの可愛らしさ。
まだ子やぎなんだろうなー。触ったらふわふわなんだろうな。
そしてそして、おおきいやぎのがらがらどんのかっこよさ。
登場シーンの力強さ。「待ってました!!!」と喝采を思わす上げたくなる。
前の二人にはなかった、おおきな角が彼には生えており、この質感もやっぱりすばらしくて、
トロルと対等に遣り合えるんだろうな、っていう固さが伝わってくるんです。
そして、「おれだ!おおきいやぎのがらがらどんだ!!」の切り口上のかっこよさ。
トロルと戦うシーンの勇ましさ、惚れるしかない。

そしてこの本、読み聞かせしても楽しい本であります。
なんだかんだで、図書館の読み聞かせボランティアは何回かしたのですが、
この本はやっぱり子供の食いつき方が違う。(もちろん子供の年代にもよりますが)
そして、ウケがいいので、私の熱の入れようも違う。やっぱり反応あると楽しいし。

読み聞かせしてもらうと気の、前から見る絵本、
それから自分で読むときの、上からみる絵本、
そして、読みきかせをすると気の、横から見た絵本。

どれも素晴らしいです。
とっても楽しい。





それでは。

読書週間だから好きな本紹介するその7「アブダラと魔法の絨毯」



私は自他共に認めるロリコンショタコン子供好きですが、同時に児童文学が大好きです。
というか、そもそも海外ファンタジーが好きなのです。

王道で行くなら
指輪物語。ナルニア国物語。ゲド戦記、魔法使いクレストマンシーシリーズ、はてしない物語。

ちょっと最近(10年前前後)のものになるのなら、
ダレン・シャン。ライオン・ボーイ。ハリー・ポッター。
エラゴン、バーティミアス、デルトラクエスト。
全部面白くてワクワクする本ですよね。

近年は、ファンタジー小説がハリウッドなどで映画化されることがとても多くなっています。
前述したものは、特に王道モノは、ほとんど全部映像化されているでしょう。
最近はCGも美しく、まるで生きているかのような、本物のような映像、
カメラワーク、音楽、役者の演技とそろっておりますが、
それでもファンタジーの本を読む時の興奮には叶わないでしょう。
いや、映画には映画のよさがあるんですよ。でも、本とはまた全く違った別の良さなのです。

静かな図書館で、ホコリの香りがするハードカバーの本をそっと開き、
周りの音が消えうせ、現世から一切の情報が入らなくなり、
わくわくとページをめくり、本を読んでいる感覚がなくなるぐらいに没頭してしまって、
読み終わったとき、こっちの世界に返ってこられない、帰り道にふっとした瞬間にまたトリップしてしまう。
まるで「本」にさらわれてしまったかのような、あの感覚。
ああ、私は今まで、全く別の世界に行っていたのだ、と実感できるようなな、あの独特の感覚。
あれがわかる人間は幸せです。
誰に笑われても、誰に「頭おかしい」といわれても、蔑まれても、
あの感覚は私にとってとっても大事なものなのです。

いろんなファンタジーを読みましたが、
特に好きな作家は「ダイアナ・ウィン・ジョーンズ」。
その中でも、恐らく一番たくさん読んだのは「アブダラと魔法の絨毯」でしょう。


アブダラと空飛ぶ絨毯―ハウルの動く城〈2〉
ダイアナ・ウィン ジョーンズ
徳間書店
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読書週間だから好きな本紹介するその7は、児童文学から。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの「アブダラと魔法の絨毯」です。
宮崎駿にアニメ化された「ハウルの動く城」の原作、「魔法使いハウルと火の悪魔」の続編です。
さすがジブリというか、アニメハウルは、小説版のハウルとはまた違った魅力がすごくあります。

が、原作ハウルもすっごい好きです。
いま脳内再生して気づいたんですけど、あの原作小説、児童文学にもかかわらず、子供が全く出てこない。
いや、マイケルって言う15歳の弟子が出てきますけど、あくまで脇役。
原作だと、ソフィーの妹と恋仲だった気がする。

そんでもってハウルはアラサーですからね。

「10000日目」
「何が?」
「僕が生まれてからさ」


みたいな台詞があるので、
10000÷365で27歳前後でしょう。
んで、ヒロインのソフィーは90歳の老婆になります。

いや、なんだよこの児童文学作品。
「なんだよ」というのは、子供が出てこないのに、子供が読んでもめっちゃ面白いからです。


あ、「魔法使いハウルと火の悪魔」も好きなんですが、今回は「アブダラと魔法の絨毯」の紹介だった。
続編とはいっても、主人公が「アブダラ」という別のキャラクターになっています。アラブ系の商人です。
ヒロインも「夜咲花」というアラブ系のお姫様。めっちゃかわいい。そして上品で賢い。
この二人がメインで、途中でソフィーも合流して、踏んだり蹴ったりの冒険を繰り広げるわけですが…。

そして、後半になるとハウルが姿を現します。
最後のシーンは、本当にカッコいい。
アブダラに「内心ぶるぶる震えてるに違いないな」と見透かされていますが、
それでもハウルがハウルのまますっごいかっこいい。
よく覚えています。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、
「指輪物語」のJ・R・R・トールキンに師事した、まぁなんていうか、
王道ファンタジー大大大先生の弟子の大大先生みたいな方です。
この人が書いた「ファンタジーを書く」はすごい勉強になりました。
(ただ、トールキンは大学で講義をしていたのにもかかわらず、教える気があんまりなかったみたいですが)

そして、2011年に死去。
つい、この前まで生きていらっしゃったのです。
それを知ったのは、つい先日のことでした。

私にとって「本の作者」とは遠い遠い世界の人間であって、
それが英国の人間だったりすればなおさらです。
ぶっちゃけた話、手元の本の作者が生きていたとしても、死んでいたとしても、私には全く関係がありません。
でも、……ものすごくショックです。
なくなられたのか。76歳か………。

さて。
今、手元にハウルの動く城3「チャーメインと魔法の家」があります。ハウルシリーズの、最後の作品です。
実はまだ手がつけられていません。
「面白くなかったらどうしよう」と恐ろしいのです。
いえ、きっと本は面白いのです。
だけど、「私自身」が初読のときとは、だいぶ変化しました。
あの時みたいに、何度も繰り返し読んだ時みたいに、私は楽しめるのでしょうか?
恐ろしいのです。こんなこと初めてです。


…まぁダイアナウィンジョーンズだから、面白いに決まってはいるんでしょうが。
それでも。
本の面白さというのは、受け手の精神コンディションによって変わってしまいますから。


それでは。




P.S
この文を書き終わった後に読み始めました。
心配は無用だった用です。

読書週間だから好きな本紹介するその6「ファウスト」


中学の授業でシューベルトの「魔王」を聞いたとき、僕たちは沸き立った。
「お父さん、お父さん」ブームである。
思春期の僕たちは、くだらないことに一喜一憂し、あるフレーズは流行語となり、1週間もたてば流行は廃れていった。

クラスの男子達での「お父さん、お父さん」ブームが終わったが、僕の中ではブームは終わっていなかった。
私の両親は音楽好きであった。
私は両親に音源を貸してもらい、シューベルトの音楽集とやらを聴いてみた。
魔王のほかにも、鱒、野ばら、糸を紡ぐグレートヒェンなどの音楽が入っていた。

「糸を紡ぐグレートヒェン」は不思議な音楽だった。
ドイツ語で意味はわからなかったが、ピアノのフレーズが気に入った。
中二病の僕は、別言語の、かっこいい、暗い、その詩が気に入ったらしい。
何度も何度もその曲を聞いていると、父親がこれは「ファウスト」に出てくる詩だよ、と教えてくれた。
家には偶然にも「ファウスト」第1部の本が置いてあった。




ファウスト〈1〉 (新潮文庫)
ゲーテ
新潮社
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第6回読書週間だから本を紹介しようシリーズは、
ゲーテの「ファウスト」です。

この本を読んだのは、中学2年生の頃だったと思います。
俗に言う、中二病まっさかりの頃。
世界的な文豪が書いた、悪魔と契約する主人公のお話。
現在進行形でも中二病な私が、夢中にならないわけがない。

中学生の私はこのお話を気に入り、何回も読みました。
中二病の私が特に気に入ったのは悪魔「メフィストフェレス」の言い回し。
人を小ばかにし、見下したような、それでいて力がある、主人公のファウストの魂を狙う悪魔。

ストーリーのほうは、当時の私にはよくわかりませんでした。
医学、化学、魔術を究めた老人のファウスト。
「結局何もわからない」と、自殺を企てます。(まず当時の私にはここがわからない)
悪魔「メフィストフェレス」との出会い。
悪魔は取引を持ちかけます。
すっごい面白いものとか、すっごい楽しい思いをさせてあげるよ。
その代わり、死んだら魂をいただくぜ。
そういう契約に、「死んだ後のことなんか知らんし」と、ファウストは契約をします。
(当時の私にはやっぱりこの後先の考えなさがわからない)

魔女の若返りの薬を飲み、美しい町娘「グレートヒェン」と恋仲になるファウスト。
しかし、グレートヒェンが子供を孕んでしまいます。
同時に、夜の密会時に「ちょっとだけグレートヒェンのお母さんに眠っててもらおうね」と盛っておいた薬により、
グレートヒェンの母親が死亡。恐らく慢性的な薬の服用のせいでしょうね。
また、グレートヒェンのお兄ちゃんに決闘をけしかけられ、ファウストは彼を殺してしまいます。
(当時の私はこの謎展開がわからない)

追い詰められたグレートヒェンは、赤子を生んだと同時に発狂。
嬰児を殺してしまいます。
嬰児殺しの罪で、牢獄に入れられるグレートヒェン。
メフィストフェレスと共に、彼女を助けに来たファウストは、彼女に拒絶されます。

「とうとう裁かれたな」と呟くメフィストフェレス。
その声に対して、どこからともなく聞こえる「救われたのだ」という声。(やっぱりわからない私)

第1部完。




ゲーテの「ファウスト」は名作、傑作といわれていますが、
当時中学生の私にとってはあまりにもわからなすぎた。
今でもよくわからん。全くわからない。
ただ、あのゲーテがすさまじい時間をかけて書いた作品ですから、
きっとすごい作品なんでしょうが、でもやっぱり全くわからない。
メフィストさんがカッコいいなって言う感想しか出てこない。

さらに当時の私は、涙ぐましい努力で2部も読んだんですが、
ファウストってあらすじを雑にまとめてしまうと
「老人が悪魔と契約して、やりたい放題ヤった挙句、死んだ元カノによって救われる」
っていう、わけのわからん上に納得のいかないお話だったわけですね。わからんわ。

…中学生のあの当時から、私はちょっとだけ頭が良くなりました。
だから、あの頃はわからなかったファウストの行動も、ちょっとだけわかるようになりました。
60過ぎのジジイであるにもかかわらず、自殺を企てる彼の絶望感とか。
「死んだ後のことはどうでもいいや」と悪魔と契約してしまう、彼の考え方。
グレートヒェンが追い詰められて、どうして嬰児を殺したか。

だけど、やっぱりまだわからない部分もある。
1部の最後の「救われたのだ」は、わからなかったけど、
それでもカッコいい終わり方で、気に入っていたのです。
なので、何度も何度も読んで、何度も何度も考えたんですが、それでもやっぱりわからない。
彼女はなんで「裁かれた」のではなく「救われた」のか。

例え、超有名な文学者さんから、1体1で解説を受けたとしても、私は納得しないでしょう。腑に落ちないでしょう。
バックに流れる歴史的背景や、ゲーテの生い立ちや、ドイツ人の考え方などを学んでも、私はきっと「わからない」。
本を読むということは「私」が「私」を読むということです。
鏡の反射。本は、自分自身を映し出す鏡なのです。
つまり。「私」の人生が太く、骨太で、文学的にならない限り、私は「ファウスト」を理解することは出来ないのです。

なんで彼女は救われたのか?裁きに身を任せたからか?悪魔側のファウストを拒絶したからか?
救われる女性とは?神聖な女性とは?女性によって魂が救われる男性とは?
なぜ彼は努力し続けることができるのか?快楽を傍受するだけなのに、なぜ神様から気に入られるのか?
それは、勉学にずっとずっと励んできたからなのか?なぜ彼は救われるのか?なぜ?どうして??

…私も、60過ぎのジジイになれば、ちょっとでも「ファウスト」を理解できるようになるのでしょうか。





ファウスト第1部は、恐らく私が一番読んだ物語です。
通算50回以上は読んでいます。部分的なら100を越えるはず。物理的に本がボロボロになるまで読んだのです。
中二病って恐ろしいですね。ひたすらに悪魔メフィストフェレスへの憧れが原動力ですよ。
でも、何回読んでも、その素晴らしさや、なんで現代の世まで評価されているのかは、わからなかった。

それでも読むのです。わからなくても、読むのです。
何度読んでも読み足りない、新しい発見があるのです。
これが名作といわれているのはそれ故かもしれません。

60過ぎのクソジジイにもかかわらず、ひたすら前に進み、学びたい、まだ楽しみたい、まだいい気分になりたい、
悪魔に魂を売ってまで「人間的」であろうとする、ある種の快楽主義のようなファウスト。
何も知らない無垢で綺麗な娘だったのに、ファウストと出会ってからは転落人生まっさかさま、
教会で、うごめく腹を抑えながら、苦しみながら祈るグレートヒェン。
神様とお話して、ファウストの魂を付けねらうメフィストフェレス。
特にメフィストフェレスとグレートヒェンの関係は面白い。
対比になっている面もあるし、一方的に、間接的に食われる関係でもあるし、
2部に行けばそれが全て逆転してしまうって言う面もある。

で、やっぱり今読み直しても、私のファウストの感想は「わからない」です。



ただ。
…ただ、ですよ。
この本を読むきっかけとなった「糸を紡ぐグレートヒェン」を聞くと。

後ろで、メフィストフェレスが笑っている気がするのです。
愚かな女、と。
いえ、もうはっきりと聞こえます。
あの曲の後ろでは、メフィストフェレスが笑っているのです。





それでは。

読書週間だから好きな本紹介するその5「夜を乗り越える」


人間には2種類の人間がいると思います。
太宰治の「人間失格」を読んで「これは自分だ」と考えることの出来る人間と、できない人間です。




第5回読書週間だから本を紹介しようシリーズは、
2015年芥川龍之介賞を受賞した「又吉直樹」の「火花」…ではなく、「夜を乗り越える」を紹介します。


夜を乗り越える(小学館よしもと新書)
又吉 直樹
小学館
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この本の刊行日は2016年6月6日。
なので、私が服を買いに行ったついでに寄った本屋で、新刊コーナーでこの本を目にしたのも、恐らく6月のある日でしょう。
私はぼーっと眺めていた新刊コーナーで、気になる真っ赤な本を手にとりました。

当時は「芥川賞をお笑い芸人が取った」のような何かで、本屋が随分又吉さん推しだった気がします。
ポスターにでかでかと書かれた「又吉直樹」の字とか、ナツイチのポスターとか。
私はというと、彼に全く興味はありませんでした。
「なんでお笑い芸人が芥川賞取ってんの?芥川賞って権威そんなに失墜したの?」と鼻くそほじりながら考えていたレベル。
でも、帯にでかでかと書かれた、あの髪の長い彼と、「なぜ本を読むのか?」の字に引かれて、ぱらぱらと本をめくりました。

1ページ目で、私は深く深く反省しました。
ああダメだ、お笑い芸人だと、侮っていた私が間違っていた。すげえ申し訳ない。
この又吉直樹って人、本を読んできた人間なんだ。

たくさん本を読むと、私の場合好きだから読んでいるだけなんですが、
「頭のいい人が書いた文章」「悪い人が書いた文章」「慣れている人が書いた文章」「そうではない文章」が、すぐにわかるようになります。
この人は、何だろう、さすが芥川賞をとった人なんだな、と思いました。
まず、幼少時代の思い出を冒頭に持ってくる点で、引きこみ方というか、手馴れている感じというか、まざまざと見せ付けられました。
読者にわからせようと、話しかけてきてくれるのがものすごくよくわかる文でした。
我ながら手の平返しが酷いです。


…さて。
3分の1ほどこの本を読んだ後、私は本を棚に戻しました。
私は服を買いに来たのです。本なんか買ってる余裕はありません。
気になった本を全部買っていたら、明日の朝日を拝むことは出来ないでしょう。
その日は、「ああなんか、あの人すごい人なんだな」で終わりました。

家に帰った後、ネットで「夜を乗り越える」をぐぐりました。
評判は上々のようです。
タイトルが指す「夜」とは、あの太宰治が自殺を決行した日、6月13日。
その「夜」をさしているそうでした。



2週間ほどたった、ある夜のことです。
今にも雨が降り出しそうな、どんよりとした夜でした。
私は自室で、ぼんやりと考え事をしておりました。

ふ、と頭に思い浮かんだ言葉がありました。
「夜を乗り越える」。
夜を乗り越える。
よるをのりこえる。のりこえる。夜を。のりこえる。


「6月13日の、あの夜さえ乗り越えられていたら。」

「それは、5回目の自殺未遂になっていたのかもしれないのです。」

「その夜を、乗り越えないとダメなんです。」

「その夜さえ乗り越えれば、僕は「ダウンタウンDX」で、無茶苦茶笑いを取っているジジイの太宰や、
明石家さんまと絡んでいる太宰が想像できるのです。」






私は自転車を飛ばして本屋に行きました。
閉店間際の店員さんと目が合ってしまったので、本の場所を聞きます。
差し出された本をそのまま購入し、夕飯を適当に買って、
ぱらぱらと降り始めた雨の中、私は自転車をこぎ始めました。
懐に「夜を乗り越える」を入れて、私は走りました。
本屋の暖房が、まだ本のページに挟まっているようで。
懐に入れたそれは、終わりかけのカイロのように、ほのかに暖かかった。

私の部屋にはテレビがありません。
番組もほとんど見ないどころか、テレビがあって番組をやっていたとしても、ネットをしたり本を読んだりです。
私にとって「お笑い芸人」とは、ほとんど交わることのない、遠い世界の存在です。

唯一、又吉さんを見たのは、
この前の年末、紅白歌合戦で、ゴールデンボンバーと何かやっていたときでしょうか。
なんか服脱いで、なんかやってたんです。除夜の鐘だったかな。
父親が「芸人は大変やな」と呟いていたことを覚えています。
細すぎる体と、モサモサの髪の毛が印象的で、今思うとすげえ哀しそうな目をしていた気がする。


「夜を乗り越える」には、私が普段考えていることがたくさん書いていました。
本を読むことについて。
本を読み直すことについて。
本を批判することについて。
読まれもしないうちに、作品を批判されるということはとても辛いということ。
「怒られるのかな」と思いながら書いたのに、誰にも怒られなかった時の肩透かし。
あるとき、あの場所での気まずさ。
閉塞感。疎外感。馬鹿にされること。悔しいと思うこと。
本を読むのが好きだということ。
すごく面白い本だと思いました。
たくさん共感しました。
後半はあまりにも共感しすぎて、もしかして私はこの人に洗脳ビームでも受けたのかと怖くなったほどです。

「夜を乗り越える」は面白い本です。
私は、近代文学を久しぶりに読み直したくなった。
現実に、何冊か読み直しました。
特に芥川龍之介の「河童」は、この本がなければ再読することはなかったでしょう。
本当に面白かった。貴重な機会だった。
これからもたくさん本を読んでいこうと思います。


ホントにこの本は面白くて、「第2図書係補佐」もすごく面白くて、
又吉さんの手を握って「面白かったです」といいたいぐらいに、コンタクトがとりたいぐらいにファンになってしまって、一時期は彼にファンレターでも出そうかと考えておりました。
が、彼の本来の姿である「お笑い芸人」として、私には全く知識はないし、
そもそも私のような人間はファンレターを書くのには不向きな人間です。
一番の理由は気恥ずかしさ。ネット上のここならバレないでしょうし、「ブログ記事で本の紹介」ということで彼へのファンレターとさせていただきます。
彼の書く文章は面白く、また10年か20年して、彼の人生が経過したら、
また違った味の面白い本を出してくれるものと信じています。楽しみにしております。今もすげえ面白いけど。




今、手元には作者買いをした「第2図書係補佐」があります。
5年前、彼が恐らく31のときに刊行された本です。
「中陰の花」の解説に、こんなシーンがあります。

又吉さんが占い師に手相を見られ、
「長男だね?本好き?実家離れたんだね」と、ズバズバと当てられるシーンです。
占い師さんは、彼の手相を気に入ります。
そして、「今何歳?26?へえ。27,28…33,34,35…あっ!!!」というシーンです。
本の中の彼は、「35の自分に、一体何があるのだろう?死ぬのかな?」と首を傾げます。


35歳は、彼が「火花」で芥川龍之介賞を受賞した年でした。







私、実は将来、
絵描きか、作家か、本屋か、占い師になりたかったんですよね。
ぶっちゃけ今もなりたいけど。

それでは。
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時雨屋

Author:時雨屋
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