柿とタバコと死刑囚 <その3(終)>


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次の日の月曜日、彼女は仕事に出かけ、俺は部屋に一人居る事となった。
せっかくの休日なのに、早く寝たせいで、前日に何もやらなかったせいで、
体の調子はすこぶるよく、早く起きてしまった。
俺は買出しに出かけるために、車のキーを持って玄関から出た。
玄関のノブを触るときに、あの男もこれに触ったのだろうな、と思った。
思わず、キーについている季節はずれの静電気よけで、手をぬぐった。

この気持ちは何なのだろう。
よく、わからない。
空は、この季節にしては珍しく、気持ち悪いほどに晴れている。

幼い頃、ばーちゃんちに行ったときのことをぼんやりと思い出していた。
あの日も、こんな天気だった気がする。
年上のいとこに、木でできた蒸気機関車のおもちゃを取られて、
すごく悔しくて、部屋の隅で泣いたことを覚えている。
畳のふちの、あの緑色の角の部分。
男のクセに泣き落としかよ、といった表情の、やはり幼い年上のいとこは、
しぶしぶと蒸気機関車のおもちゃを返してくれたが、
既に「ぼく」はそれが気に入らず、さらにかんしゃくを起こして泣き喚いた覚えがある。

食料の買出しを済ませ、ドラッグストアでトイレットペーパーを買い、車を出発させ、
おっとしまった、昨日の洗い物、台所洗剤がなくなるんだったと思い出して、
途中で俺はしかたなくコンビニによった。

タオルや洗剤、日用品が置いてある棚で、俺はゴムが目に付いた。
なんとなく、もう使わないだろうな、と思った。
その隣にある、ライターを目にした瞬間、俺の気持ちは決まっていた。

昨日のビデオに写っていた、あの男。
赤いパッケージを取り出し、あわてて彼女に止められる、あの動作。
彼女の服に一瞬ついた、あのタバコのにおい。

コンビニの店員に、24番をくださいと番号をつげ、
俺は学生時代に、あんなにも医療学校で学習した、
発がん性、健康への被害、副流煙の有害物質、依存性、中毒性、
有害化学物質がたっぷりとつまった、タバコを購入した。
こんなにも簡単に買えるのだな、どおりで喫煙者が減らないわけだ。





俺は誰もいないアパートに帰ってきて、
冷蔵庫に食料をつめ終わって、お得パックの洗剤を詰め替えて、
部屋のソファーに座って、部屋を眺めた。
そこの床でヤってたな。
俺はカーテンの外の、いい青空の天気に目を移した。
彼女がいつの間にか買ってきた、観葉植物が窓辺で光合成にいそしんでいる。

俺は、昨夜の晩御飯のツナオムレツ…の材料のツナカンを、ゴミ箱からそっと取り出した。
軽く洗って、拭いて、それから、窓辺の観葉植物の、砂利を手でつかんでツナカンに入れた。
ポケットにライターをいれ、タバコのパッケージを持ち、サンダルを取ってきて、
俺は部屋のベランダに出た。いい天気だ。本当に、いい天気。
室外機の上にツナカンを置いて、俺はタバコに火をつけた。

吸い方は知っている。
飲み会のときに、酔っ払いの友人に何本か吸わされたからだ。
吸いながら火をつける。
肺に入れず、口でふかす。 慣れてないから、これでいい。
3口目から、やっと美味しくなってきた。
これはただの煙で、やはりタバコの味がする。

俺はニコチンの化学式を思い浮かべて、
猿を用いた実験の依存性の論文を思い浮かべて、
肺がんを煩った男性の悔やみの手記を思い浮かべて、
煙を青空に噴出した。
古来、天に上る煙は、神への祈りをあらわしていたという。

しばらくの間、俺はずーっとそうやって、タバコをふかしていた。
灰を落として。
火をつけなおして。
風向きが変わって、煙が目に入って、ちょっと涙目になって。
砂利に火を押し付けて、俺はずーっと考えていた。

何故、外で吸うのか?
それは、部屋がタバコ臭くなるのが嫌だからだ。
タバコを吸っていないときに、タバコの臭いをすうと、吸いたくなる。
人がふかしているタバコは嫌いだが、自分が吸うタバコは好きだ。
自分の女を穢すのは好きだが、穢されるのは大嫌いだ。

俺は、何を間違えたのだろう?
彼女を、もっと愛すべきだったのだろうか?
だが、もともと俺は、彼女のことなぞ微塵も好きではなかったような気がしてきた。
俺は恐らく、彼女を、いや人を、愛するには怠けすぎたのだ。

六本目を吸い終わって、これで最後にしようと思って、
七本目を吸った。
八本目の半分で、俺は砂利にタバコを押し付けて、
室内に入り、口をゆすいで、歯を磨いた。

あとは、いつもの休日の通り。
家事をして、本を読んで、ゲームをして、夕食の支度をして。
彼女が帰ってきて、「ちょっとタバコの匂いがするね」と言われて、
「今日のお昼、席が空いてなかったから喫煙席で外食したんだ」と嘘をついて。
なんでこの期に及んで嘘をついたのか、わからないけれど。

ごはんをもって、料理をよそって、
いただきますをして。
今日のあとかたづけの当番の彼女が皿洗いをして、
今日は彼女とはゲームはしないで。言葉数も少なく。
順番にシャワーを浴びて。誘ってきた彼女を断って。
テレビを見始めた彼女を尻目に、俺は新聞を開いて、

目が、記事を、滑って、滑って、滑って。
彼女が眠そうに、目をこすり、テレビを消して、
「もう寝るね」と言ったとき、
俺は腹が決まった。いや、やっと決めたのか。
言った。


「別れよう」





言ってしまった。
言葉は、俺の唇を離れて、彼女に届いてしまった。

突然のことに彼女はぽかんとして、
何が起きたのかわからないように、彼女は唐突に動きを止め、
なんで、と訪ねてきたので、俺は何も言わずに首を横に振った。
そうしているうちに彼女の目には涙が溜まり、彼女は泣きじゃくり始める。
残念、好いてる女の涙だったら興奮するんだけどな、とちょっと考えた。

「私、なにか、した…?」
してるだろ。
と、思いつつ、俺は黙って首を横に振る。

もう、君の事が、好きじゃなくなったんだ。
適当に嘘を並べる。

「でも、でも…!」
彼女は泣く。
女の涙ってのには好意を持ってる男にしか使えねえんだよ。
と、思いつつ、「ごめんね」と俺の唇は動いた。
「…そんな、突然…!」
泣きじゃくる彼女に、
いや、突然もクソもねえよ、何ヶ月も前から別の男家に連れ込んでズコパコやってただろクソが、
と、思いつつ「ずっと言えなかった」と言っておく。

彼女は何も言わず、泣きじゃくるのみとなった。
俺は、俺が知っていることを、彼女に言うつもりはなかった。
たしかに、人を痛めつけたり、怒らせたり、憎悪させたりするのは好きなタイプだが、
彼女には、既にそういった感情すら沸かなかった。
隠し撮りした動画を見せ付けるか?反応を見るか?
いや、既にあの動画は削除している。
それに、見せるのがめんどくさいし、俺がだまってこうしたほうが、
全てのことが丸く収まる気がする。嫌がらせをする気すら起きない。
…この女は、今何を考えているのだろう?

「じゃ、近いうちにはこの部屋を出て行ってね」
俺が発した言葉は、俺が想像した以上に、冷たく部屋に響いた。
「おやすみ」





朝早くに目覚めると、彼女は既に家にいなかった。
夜の間に出て行ったらしい、支度の早いヤツだ。
たぶんあの男の家に行ったのだろう、
そしてたぶん夜通しズコパコやっていたのだろう。
俺がすやすやと眠っていた後に、彼女はズコパコやっていたわけである。
俺が労働にいそしんでいたときでも、彼女はズコパコやっていたわけである。
なんだか、本当に同じ時間をすごしていたのか、実は別の世界線の出来事ではないのか、
今居るこの世界は、本当に自分の生きてきた世界なのか、
我ながら不安になってくる。

朝のリビングに行くと、
料理を作る彼女は居なく、朝の支度をする彼女も居なく、
テーブルには鍵と手紙が置いてあった。

『ごめんなさい、実は私、今まで……』

俺は嫌になって手紙を裏返した。
が、裏にも几帳面な文字でびっしりメッセージが書いてあるではないか。
「糞野郎」
俺は呟いて、立ち上がった。
パジャマのままベランダに出て、昨日の残りのタバコを3本吸う。

歯を磨いて、朝ごはんを食べるべく、俺は台所に向かった。
シンクの隅の、ゴミがたまっている三角コーナーをちら、っと見て、
彼女の手紙も捨て、そして、まだ半分以上残っているたばこケースを握りつぶして三角コーナーにに突っ込んだ。

俺はもう、タバコは吸わないだろう。




<了>
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