柿とタバコと死刑囚 <その1>


俺はソファーに座って新聞を読んでいたし、彼女はソファーでテレビを見ていた。
ニュース番組だろうか、バラエティ番組だろうか。
考え事をしながら新聞を開いていた俺には、全く判断がつかなかった。
俺の目は新聞のニュースを滑るばかりで、内容は全く入ってこない。

そもそも、俺はテレビ番組はほとんど見ない人間だったのだ。
この部屋に、彼女が転がり込んできてからというものの、やっと俺のテレビは電波を受信し始めたし、
ずっと一人暮らしだった俺の部屋は、
彼女が料理を作ったり、部屋で着替えたり、風呂の後に髪を乾かしたりと、
ずいぶんといろんな「絵」が見られるようになっていた。

彼女は眠くなったらしく、テレビを消した。
ずっと気にも留めていなかったテレビの音なのに、消されたとたんにその静寂に気が引き締まる。
じゃあ、・・・君、わたしそろそろ寝るね、と彼女は俺の名前を呼んだ。

彼女は返答が欲しそうに、俺の顔を眺めた。
ずっと言いたかったその言葉は、俺の口から沸いて出てきた。
言うつもりはなかったのに。
いや、ずっと言いたかったのだから。

「別れよう」





彼女がこの部屋にやってきたのは、春も終わりのゴールデンウィークだった気がする。
連休に泊まりに来た彼女は、連休が終わっても、ずっと俺の部屋を去らなかった。
彼女はこの部屋から出かけていって、それからこの部屋に帰ってくることが多くなった。
普通の男女が、2LDKの部屋に住むのなら、それはそれは色々なことが起こる。
それから、そのようになって、しばらくの月日が流れた。
葉が生い茂り、雨を浴びて、そして茶色くなって、恐らくそのぐらいの月日。

ベッドの上でする快楽は、2種類ある。
1つは寝ること、そして1つは本を読むことだ。
その日、俺は自分の部屋で1つの快楽をむさぼっている最中、彼女が俺の部屋に帰ってきた。
俺は快楽を中断して、おかえりを言うために、玄関へとで迎えた。
彼女が笑顔で部屋に入ってきて、靴を脱いで。
コートを取って、アクセサリーを外して、どこにいってたの、ちょっとそこまで、
頭の飾りを取って、部屋着に着替えようとして、俺は部屋に帰って本を読む作業を再開しようとして、
とても狭い廊下で彼女とすれ違ったときに、それに気づいた。

タバコの臭いである。






彼女からタバコの臭いがしたのは、一瞬だった。ほんの一瞬。
次の瞬間には忘れてしまうぐらい、かすかな香り。
出かけてきた飲食店の近くに、喫煙者が居たのだとか、
電車で隣に座ったおじさんが、運悪く臭かったとか。
そういうレベルの、かすかな香り。

俺は部屋に戻ってベッドに座り、
一度は本を開いたものの、やっぱり本を閉じて、
ベッドの横になると彼女のことに思いをはせた。

俺も彼女も社会人であるが、それぞれ別の会社で働いている。
俺は土日出勤が多く、平日の数日が休みだが、
彼女は平日が出勤日で、土日が休みだ。
故に、二人そろって休日という機会はなかなかなく、
俺たちは夜にそれぞれ帰ってきて、夕食を食べて話をする、というのが常日頃のことだった。
彼女は近くの会社の事務をやっていて、
詳しくは知らないけれども、パソコンを使って仕事をしたり、いろんな書類を整理したり、
いわゆるデスクワークという仕事らしい。

俺と彼女の大きな違いの一つに、「本を読むか、読まないか」という違いがある。
もちろん、「テレビを見るかみないか」とか「トマトが好きか嫌いか」とか「体を洗うとき、どこから洗うか」なんて差異もあるが、
この本を読むか読まないか、というのは、なんだか大きく俺と彼女の間に横たわっている気がした。

ちょうどその時は、俺が歴史の本を読んでいたときだった。
本の中に、柿が出てきた。
ある死刑囚は、死刑の前日に下記を進められた際、「柿は痰の毒だから」と断ったという。
明日死ぬ命だというのに。
と、ちょうどその本を読んだ日、彼女が珍しく柿を買ってきてくれて、剥いてくれた事がある。
思わず、俺は柿の話を彼女にしたくなった。が、俺は結局、しなかった。
彼女と、俺の間には大きなものが横たわっていたからだ。

そういえば、アメリカのジョークにも似たような話があった気がする。
死刑の前日に、タバコを断る死刑囚の話が。
俺はベッドの上で考え事をして、ふと考えた。
柿と、タバコ。
タバコのにおい。
そう、確かに先ほどの彼女からはタバコのにおいがした。

柿。
そのころ…柿だから、季節は秋なのだろう。
彼女の爪は、短かった。包丁で果物の皮がむけるほどに。
デスクワークをしているのだから当然だろう。

今、先ほどすれ違った彼女の爪は。
…ネイルをしていた気がする。素手で、スマホが触れないほどに。
長く、美しく、のびた爪。
デスクワークはどうしたのだろう?
あれでは、タイピングも上手くできないだろう。

転職したのだろうか?





俺が住んでいるアパートの部屋には、部屋が2つある。
1つは、リビング兼台所の、パソコンとベランダのある、大きな部屋。
もう1つは、寝室。
こちらには電子機器の気配といえば読書灯しかなく、
あとは壁の1面を本棚が支配している。

俺は寝室兼読書部屋で、天井を眺めていた。
今日はもう、あとは寝るだけなのだ。
俺は部屋の電気を消して、寝ることにした。
彼女は、この部屋にはやってこない。
彼女は、リビングのほうに布団をしいていつも寝ていた。

俺は真っ暗になった寝室の中で、暗闇に目を走らせた。
最近、彼女は休日にも帰りが遅いことが多々ある。
俺が日曜日、仕事から帰ってきた、その後に彼女帰ってくることが、何回かあった。
俺は暗闇の中で瞬きをした。

数ヶ月前のことを思い出す。
その日俺は、細かいことがきになる日だったのだろう。
仕事帰ってきた俺は、インスタントコーヒーを淹れようと思い立った。
俺用のマグカップを出してコーヒーの粉末を淹れたときに、どうにもコップのフチに粉が張り付く。
どうやら、俺のマグカップを使ったような形跡があるのだ。
俺は、丁度テレビのCM中で暇そうだった彼女に声をかけた。
ねえ、俺のコップ使った?
と。

一瞬の間があった。
一瞬の間。ほんの、一瞬の間。
ごめん、間違えて使っちゃったんだ。
彼女が答えた。
そっか、と俺は返答し、湯をコップの中に注いだ。

俺は、ベッドの中でその「一瞬の間」の意味をとても考えていた。
俺の意識は、徐々に眠りの世界へと落ちていた。
最近、仕事から帰ると、部屋が綺麗に掃除されていること。
ゴミ箱なんか、まだまだ余裕があったのに、変える度にすぐに彼女が縛って捨ててしまうこと。
最近、俺がリビングに入るたびに、スマホをいじっている彼女がハッとこちらを見ること。
掃除のためにスマホを動かしたら、烈火のごとく怒らせてしまったこと。
休日は、おしゃれをして出かけ、遅くまで帰ってこないということ。

彼女から一瞬した、タバコのにおい。
柿をむくときには、長かった爪。
やけに増えているスマホの時間。
週末のたびに掃除されている部屋。


俺は目をつぶる。
意識を手放す前に、ひらがな3文字が頭に浮かんだ。


「うわき」



<その2へ続きます>
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